ニュースNews
吉田佐和子執筆記事
サックス奏者×freee株式会社で活躍!藤井一弥さん
皆さんこんにちは、クラリネット奏者の吉田佐和子です。
今回は、音楽を通して吹奏楽部の生徒たちの成長をサポートする指導者になるために尚美ミュージックカレッジ専門学校で学び、現在は東京を拠点に3つの仕事をしながら音楽活動をされている藤井一弥さんにインタビューをしました。
『企業に勤めながら音楽を続けるプロ』として、ロールモデルとなることを目指して活動されている藤井さんの生き方は、コロナ禍で将来の見通しがつきにくい今こそ求められている姿ではないでしょうか?
藤井一弥プロフィール
静岡県沼津市出身。尚美ミュージックカレッジ専門学校吹奏楽学科を卒業。
サクソフォンを矢辺新太郎、中村均一に師事。須川展也のマスタークラスを受講。吹奏楽指導法を小澤俊朗、佐藤正人に師事。ブルクハルト国際音楽コンクール入選、ルーマニア国際音楽コンクール最優秀賞受賞、第18回「静岡の名手たち」オーディション合格者によるコンサートに出演。
現在は東日本を中心に演奏、指導活動を展開。企業に勤めながら音楽を続けるプロとして自身がそのロールモデルとなれるよう活動中。現在はfreee株式会社に在籍し、インサイドセールス組織の立ち上げ期から事業に従事。これまでに8,000社を越えるToBコンサルを実施。企業に務める傍らで音楽事業と並行してSEOやマーケティング、株式投資や不動産事業、独立支援についても展開中。
大学卒業後の進路を決めたときに重要視されたこと
吉田:本日はよろしくお願いします。まず、大学卒業後の進路を決めたときに重要視されたことは何でしたか?
藤井:僕は学費の関係で2年しか尚美ミュージックカレッジ専門学校(以下:尚美)に通えないということが高校のときから分かっていたので、そこで結果を出すことや、仕事をいただいたらそのご縁を大切にするということを意識していました。進路を考えるときに重要視したこととしては、とにかく音楽をどうにかして続けていくことですね。
まず、僕は静岡出身なんですけど、絶対に実家の方に戻ってしまったら仕事がないと思っていたので、絶対東京に残るぞという覚悟を持っていました。
吉田:藤井さんの出身地では音楽を仕事として続けていくのは難しいんですか?
藤井:そうですね。僕は静岡の東部の出身なんですが、西部ならまだヤマハが栄えているイメージもあるんですが、東部は吹奏楽部の部費が全然なかったり部活時間も短くて、西部と真逆なんです。
吉田:なるほど。
藤井:僕はその状況を何とかしたいと思ったりもしたんですけど、若い頃の自分の力では何も出来なくて、故郷で音楽の仕事をするのは諦めましたね。
卒業後の進路について
吉田:尚美を卒業した後の進路について教えていただけますか?
藤井:卒業してからの進路としては、知人の紹介と尚美で出会った先生から紹介された学校からサックス指導の仕事をいただいていたのと、派遣会社に登録して働いていました。
吉田:音楽の仕事としては指導をメインにされていたんですね。
藤井:そうですね。やっぱり吹奏楽指導者にすごく憧れて上京していて、指揮をしたり、サックスを指導することで吹奏楽部の生徒が成長することが一番楽しみなので。
尚美を卒業した後は、実は大手音楽教室に講師として勤務することになってたんですが、東日本大震災が起こった年に卒業したので、結局何も仕事をしないままでしたね。
吉田:そうだったんですね。今もコロナ禍で音楽の仕事は減っていますが、あの年もそうでしたよね。
藤井:あと、最初は色んなバイトも検討したんですが、なかなか良い条件の仕事がなくて。当時親から『家賃の3倍の収入がないといけないよね』と言われていたんです。
吉田:なるほど。でも東京って結構家賃が高いですよね。
藤井:そうなんです。ちょうど尚美にいた頃は学生寮にいたんですが、卒業したあとは音楽中心に生活を組み立てたかったので、家賃7万円の防音物件に住むことにしました。
でも、やっぱり生活を成り立たせるために高い時給の仕事に入らないと怖いなという感じでしたね。
当時、携帯の販売に派遣登録したんですが、一番最初に電気屋さんの携帯コーナーに派遣されたんです。最初は好きでやってなかったので本当に嫌だったんですけど。
吉田:なるほど。あくまでも音楽で食べていけるようになるまでの仕事という感じだったんですね。
藤井:そうですね。でもこの携帯販売も出来なければ音楽も続かないだろうっていう、僕の中で根性論みたいなものがあって頑張ってたんですけど、今考えるとなかなかブラック企業でしたね。
勝手にタイムカード切られちゃうとか。
吉田:えっ、怖いですね。
藤井:おかしいですよね(苦笑)でも、その当時はそれがおかしいことだと分からなかったんですよね。
たまたま良い同期との出会いもあって何とか大変な時期を乗り越えられたんですが、やっぱり社会に出ていろいろと厳しさは感じていて、僕の場合、尚美に2年通ったら社会に出ないといけなかったので、音大生のうちにもっとメンタルを磨いておけば良かったなとは思いましたね。
結局そのあと大手通信企業の契約社員になって、職場は音楽活動に理解は示してくれたんですが、やっぱりお客様が沢山いらっしゃる土日や祝日は出勤することが暗黙の了解としてありました。
僕の働いていた店舗は関東で一番携帯電話が売れるお店で、その中で僕はauで一番売り上げを上げていたので、お店の方からも頼られていたんですよね。
吉田:すごいですね!ちなみに大手通信企業で契約社員として働き始められたのはいつ頃だったんですか?
藤井:卒業して初めの1年は派遣社員だったんですが、1年後に大手通信企業の契約社員になって、そこから3年半は在籍していましたね。
吉田:じゃあ卒業してから1年間の間にすごく営業スキルを磨かれたんですね。
藤井:そうですね。喋ることはもともと好きだったんですけど、今のようには喋れなかったですし、接客と販売の仕事を通して、コンサートのMCに活きる力を身に付けられたのかなとは思います。
現在の働き方について
吉田:次に、現在どのような音楽活動をされているのか教えてください。
藤井:今は日本航空高校での指導をメインにしながら、freee株式会社(以下:freee)での勤務、サイト運営の3足のわらじでやっています。
まず音楽活動は、指導のお仕事をメインに、サックスカルテットの活動もしています。また、freeeでは、テレワークで電話営業の仕事をしていて、あとはサイトを立ち上げてそこから収益を得ています。
20歳の時に専門学校を卒業したときも、音楽活動と派遣社員の2足のわらじで生きていた経験があるので、それが3足になっても何とも思わないというか(笑)
吉田:わたしもクラリネット奏者をしながらプロデューサーとしても活動しているので、その感覚はすごく分かります!
藤井:ですよね。だから音楽一本でやっていけないという悔しさも当時はあったんですが、マルチタスクが出来るということはメリットですし、タイムマネジメントは結構意識してますね。
音楽だけで生きていくことにチャレンジした1年
藤井:契約社員として大手通信企業で数年働いたあと、25歳のときに1度音楽だけで頑張ってみたいなと思って独立したんですよね。
吉田:なるほど。1年音楽活動だけでやってみられたときはどんな感じでしたか?
藤井:自分に火をつけようと思って行動したものの、やっぱりむっちゃ怖かったですし、自分の音楽活動を営業したりしたんですけど、全然食えるレベルにはならなくて。
携帯販売の仕事では成績も良かったんですが、売り場に来たお客様に営業する形だったんですね。でも、自分で開拓していくという営業は下手だったのか、なかなか客足が伸びなくて。やばいやばいと思っていましたね。
吉田:そういうことって実際にやってみないと分からないですよね。
藤井:そうなんです。そもそも当時はブランディングって言葉もほとんど知らなくて、どうやって自分というブランドを作ればいいか分からなかったですね。
当時、演奏会の集客先は、時間とお金がある人が集まる大衆居酒屋でない居酒屋やバーでした。若さをふんだんに利用して、バーのマスターにポスターを貼ってもらったり、演奏会に来られなくても、その場でお酒を少しおごってもらったり、何かしらの繋がりを作ることは出来たんですけど。
その積み重ねで音楽で得た収入だけで食えるレベルになるかというと、全然食えるレベルじゃなかったんですが、そこで人の温かさを学びましたね。
藤井:あまり声を大にしては言えないんですけど、そのときお金がなくなり過ぎて人生で初めて借金をするんですね。
大手通信企業で契約社員として働いているときは、銀行から『あなたには○百万融資出来ます』っていうハガキが来てたので安心してたんですが、いざフリーランスになってお金を借りようとしたときにたった20万円しか借りられなくて。
吉田:わ〜、全然違うんですね。
藤井:そうなんですよ。もう死んじゃう!と思って。そこから必死に営業して、それまで頼ってなかった友達にも頭を下げて、演奏場所を一箇所でもいいのでくれないか?と言ってお願いして仕事をもらったりしましたね。
でも結局キャッシュアウトしてしまったので、父に借りたんですけど。
父は自営業なので、そこで経営者としての親の姿をしっかり見たというか。父の会社は祖父の代から続いてるんですけど、父も赤字を出したことがあったそうで、「経営者として赤字を出すことはすごく恥ずかしいことだと思う」と言われたんですね。
父は仕事の愚痴を一切家族に言ったことがなかった人なんですが、電話越しに父親の本音や仕事に対する話を聞いて、僕は家族の反対を押し切って東京に出たのに、すごく恥ずかしい、悔しいと思って。
絶対にこのお金は返しますと言ったんですけど、父は「返さなくていいから、周りの人を大切にしなさい。そして自分を大切にしなさい」という風に声をかけてくれて。
吉田:すばらしいお父様ですね・・・。お話を聞いていて何だか泣きそうになってきました。
藤井:そうなんですよ。僕の両親は音楽にあまり興味がない人間で、父は狭い場所や暗い場所が嫌いなこともあって僕の演奏は聴きに来たこともないですし、母は高校生のときも演奏会に2回来てくれたくらいだったんです。
僕が音楽の進路に進むことも、ずっと反対されていたんですけど、そこで父の強さを感じました。
あと、僕は本当は国立音楽大学という4年生の大学に行きたかったんですが、高校3年生のときに『そんなお金は出せない』と急に言われて、学費が安くて勉強したかった吹奏楽が学べる尚美に進学することにしたんですけど、当時、親にはすごくきつい言葉を言ってしまったので、申し訳なかったなとも思いましたね。
吉田:でも行きたい学校に行けなくなったときは、やっぱり悲しいですし、その年齢で強い感情をコントロールするのはすごく難しいですよね。
藤井:そうですね。両親に対しては未だに申し訳ないと思いつつ、音楽活動を続けながら働くことについては、10年くらいかけて、努力を語らずとも見せる事で理解してくれた気はしますね。
やはり、親の理解は大切だと思いますし、すごくベーシックなことだと思うんですけど、周りの人たちへの感謝や素直さがある人は可愛がられたり、周りの支えをもらっていますよね。
逆に、そういうところが欠落していて「我先に」という人は割とドロップしてる感じがしますね。
学校を卒業したあとも音楽を続ける人が増えてほしい
藤井:うちの学年は多分120人くらいいたと思うんですけど、いま演奏や指導を生業としている人は5人いるかどうかくらいかな。10人もいないと思います。
freeeにも吹奏楽が大好きな吹奏楽出身者もいるんですけど、時間がとれないことや、家族がいるからという理由で楽器を吹くことを続けていない人もいて、もちろん本人の選択なのでそこは自由なんですが、本当にやりたいことであったら続けて欲しいなと。
だからfreeeで働きながら僕は音楽活動を続けるし、そういう働き方を認めてもらえるよう頑張る、という姿勢でいます。
吉田:そうなんですね。そういう姿を見たら、『音楽とそういう関わり方も出来るんだ』と感じる人もいると思うんですよね。
藤井:僕と同じ学年で、同じ防音物件に住んでいた友人がいるんですけど、彼はジャズシーンで音楽活動をしっかりやりたいと考えていて、普段は時給890円くらいの吉野家のバイトをしながら演奏活動をしていたんですね。彼は今YouTubeでも成功していますし、作品をApple Musicで販売したりしています。
かたや僕は、音楽活動が継続出来るように、高い時給がいただける派遣社員として働き始めて、いま音楽活動を出来てるわけなんですけども。どちらも『音楽活動を継続する』という意味では同じだと思うんです。
吉田:確かに、音楽をやめてしまう人も沢山いますが、やめるという選択肢に至るまでに、何か音楽を続けて行く方法があったのでは?と思うときはありますね。
藤井:そうなんですよ。そこを現実に飲まれてしまったり、妥協して考えている人が多いと感じています。ただ、社会人1年目のときは社会の荒波に揉まれますし、僕のようにブラックな環境で働いていると間違いなくそうなってしまうんです。
複数の仕事をしながら音楽活動をする生き方のロールモデルに
藤井:たまに、音楽だけで生活している人に『なんで音楽1本でやっていかないのか?』って言われることもあるんですけど、僕には僕の生き方があるし、こういう生き方をしている人がロールモデルにならないといけないと思っていて。
僕みたいな生き方をする人が今後増えたりとか、そういう選択肢もないと、これからの時代で生き残っていくのは無理だと思うんです。
僕たちの先生とか巨匠の時代は、ライバルが少なかったり、音楽の分野だけで尖っていれば活躍できる時代だったと思うんですが、今はそういう人が急にYouTubeをやっても、有名だからといって見られるわけではないんですよね。
上の世代の方々が成功した方法と同じことをしても負けると思っていたし、僕は天才ではないので、異なる才能を見つけなきゃと思ってたんです。
だから、尚美にいた頃は、他の楽器のレッスンを聴講させてもらったりとか、作曲学科とか別の学科のホームルームにお邪魔させてもらって顔と名前を知ってもらい、演奏とか一緒にやってみませんか?とかライブあったら教えてくださいっていう自然な営業活動はしていました。
吉田:それは結構戦略的に色々と考えて行動されてされていたんですか?
藤井:そうですね。僕は2年しか通えないと決まっていたので、僕には人と同じことをやるだけでは負けるという感覚しかなかったので、とにかく人と違う何かを見つけなきゃと思って、持ち前の明るさを活かしながらとにかく行動していました。
吉田:すごい行動力ですね!なかなかそんな風に動ける人はいないと思います。
仕事をしながら音楽活動をする上で大変だったこと
吉田:お仕事をしながら音楽活動をする上で大変だったことはなんですか?
藤井:やっぱりタイムマネジメントがすごく大変ですね。どちらかの仕事でブッキングを受けた時に、必ず別の仕事を断らなければいけなかったり、会社から信用がないと『こういう音楽の仕事があるので行かせてください』と言うのも最初は言いづらかったですね。
だから、会社の人たちに音楽活動を理解してもらうために、販売や営業を頑張ったという面もあります。
その一方で、僕は毎日練習も頑張るけど、生きるために、生活するために音楽以外の仕事も頑張るというか。
携帯を買いにくるお客様もいっぱいいるんですけど、接客してめちゃくちゃ仲良くなったら、僕の音楽活動でのお客様にもなるって思ってたし。普通の音楽家ではカバー出来ないような集客層をとれるように頑張ろうとしてました。
吉田:なるほどなるほど。
藤井:実際にチケット売ったこともありますしね。
吉田:え〜!そんなこともあるんですね。
藤井:そうですね。そんな経験もありました。
あとは、やっぱり体調管理が大変ですね。結局、人の2倍3倍の時間を働いていることと変わらないので、体調には気をつけているというか、そこに対して、とにかく予定を決めてルーティーンを作っておくことですね。
吉田:ちなみに日々のスケジュールはどんな感じだったんですか?
藤井:だいたい週5日は働いて、残りの2日は練習したり音楽の仕事をしていましたね。
あと、20代中盤くらいで気付いたんですが、例えば普通の仕事が数日あって、休みの日があったときに、音楽の仕事がないと家で寝過ぎちゃうんですよね。
寝溜めして回復すると思いきや、体内時計が狂って逆に体調が悪くなってたんです。
吉田:わたしもそういう時期があったのですごく分かります!
藤井:なのでそうならないように、とにかく何か仕事を入れることを心がけていました。
そういう風に何かしていかないと、僕は遊ぶことに興味がないと言うのもあるんですが、その日何もしないと、もったいない気持ちがするというか。『この日は稼ぎがゼロだな』という感覚がするんですよね。
吉田:ちなみに、指導のお仕事をされる上で、吹奏楽部の繁忙期などはどうされていたんですか?
藤井:やっぱりそこは辛かったですね。現在勤めているfreeeは副業をすごく推奨していますし、有給休暇もとれたり、有給をとらなくても「どうぞ行ってこい!」という感じなんですけど。昔は本当にそれが出来なかったので、会社には冠婚葬祭関連の嘘をついていましたね。
僕のように複数の仕事を生業にしている場合、音楽活動について理解してもらうために、普段から周りの人と良い関係を築いて、信頼関係を勝ち得ることが大事ですね。
吉田:なるほど。今はコロナ禍で多くの会社でリモートワークの導入が進んだり、社会全体で副業や複業という考え方が浸透してきているので、複数の仕事を両立しやすい環境も以前に比べるとかなり整ってきていると思いますが、10年前は難しかったですよね。
freee株式会社が働きやすい環境だったからこそ音楽活動も続けられた
吉田:現在勤めておられるfreeeにはいつ入られたんですか?
藤井:25歳のときに音楽だけで頑張ってみて、1年でうまくいかなくなったあとですね。そのとき派遣登録をしたときに紹介されたのがfreeeで、働きやすさを追求している会社なので、環境も良くて。最初は派遣社員だったんですが今は正規雇用で働いています。
吉田:freeeとの出会いは偶然だったのかもしれないですけど、音楽活動が続けやすい環境なんでしょうか?
藤井:そうですね。例えば、マネージャーに、「また音楽活動に専念するために独立したい」という話をしたときも、「いんじゃない?じゃあスキルアップにこういうことを会社の中でやってみませんか?」という感じで、僕の考えに対して否定もいないし縛ったりしないんですよね。
吉田:すごいですね!でもやっぱり環境が悪いと、本当にやりたいことも出来なくなりますもんね。
藤井:そうですね。ただ、企業に勤めると30万円の壁を超えられないんですよね。それ以上稼ごうと思うと昇進しなくてはいけないし、そうなると音楽活動が出来なくなるので、僕はそういう生き方はしたくなかったので、複業というんですかね。
僕は音楽活動と、freeeとサイト運営の仕事は、メインやサブという感覚はなくて全部が本業という感じですね。全部全力投球でやっていて、どの仕事も妥協してやったことはないですね。
吉田:そのお気持ちがあるからこそ結果を出していらっしゃるんでしょうね。
藤井:そうですね。僕はずっと音楽活動を続けていくという気持ちさえ折れなければ、誰でも再現可能な生き方だと思っていて。才能や能力の問題じゃないと思ってるんですよ。
むしろ僕よりサックスが上手かった子がドロップアウトしていたりするので、勿体ないなっていうのは思うんです。
音大生やフリーランスへのメッセージ
吉田:最後に、将来について考えている音大生やフリーランスへ向けてメッセージをお願いします。
藤井:音楽を続けたいという思いがあり、何かやりたいことがあるなら、行動すれば道は開けると思います。今だったらTwitterやFaceBookで仕事を募集することも出来るし、頭と足を動かして自分が足りないと思うスキルを磨くことをお勧めします。
どうしても20代でコンクールで入賞したりして自分より成功している人を見ると、自分には才能がないと思う人もいるかもしれないですが、まずは周りと比べずに音大を卒業して社会人として稼いでいることが出来ていればいいわけです。
あとはやっぱり諦めないことですね。
僕のお世話になっている人に言われた、『続けるから本物になるし、本物だから続く』という言葉があるんですが、一度掲げた「音楽をやるぞ」という旗を折らない、下ろさないとためにどんな生き方が良いのか考えてほしいです。
10年前だと音楽だけで食べていくというのが主流だったと思うんですが、そもそも音楽の需要が多様化していたり、音楽界の需要と供給があっていないような状況なので、やっぱり僕みたいな生き方も考えていかないと怖いというか。
今は65歳で定年を迎えたときに、その後20年生きるためには預貯金が6800万円くらいないと難しいって言われてる時代ですから、この時代を生き抜くために複数の収入源を持つことでリスクは回避出来ますし、そういう風にしないと本当に好きなことー僕の場合だと音楽活動が出来なくなってしまうと思うんですね。
吉田:そうですね。どんどん変化していく時代の先を見越して、今から出来ることはしていきたいですよね。
藤井:生涯にわたって音楽活動だけをして生きられるのは本当にトップ中のトップの人だけだと思うし、そこを目指すのは良いと思うんですけど。
自分の音楽活動を続けるためにバイトをやってる人は、本当に現実的な部分を考えた時に、時給のバイトでずっと働いていると、結婚や出産などのライフイベントを乗り越えることが難しかったり、60歳や70歳になったときに年金がある程度なかったらやっぱり厳しいですよね。
プレイヤー主義も良いと思うんですけど、体調が悪くなったりしたときのリスクヘッジがなさすぎますよね。
最悪、僕が片腕をなくしたらサックスは吹けなくなると思うんですが、指揮棒なら片手で振れますし、パソコンは叩けるので、サイト運営などから得た収益で生活できるですが、こういう風に音楽以外のことも生きていく術にしないと、何かあったときにすごく怖いと思うんです。
吉田:本当にそうですよね。わたしも去年体調が悪くベットから動けなくなった時に、パソコンで出来る仕事を増やそう、スキルを磨こうとしていたんですね。今は体調が良いので色々動き回って働けているんですが、もしものときに備えておくことは大切ですね。
藤井:音楽がライフワークだったら稼げなかったりボランティアでもいいと思うんですけど、ライフワークなのであれば、やっぱりプロ中のプロとして音楽を極めるか、リスクヘッジを考えて動く必要がありますよね。
税金も今後上がる可能性もありますし、いつ困難な状態がきても対応出来るように、お金に関して勉強したり、自分の強みを活かして稼ぐということが大事ですね。
音楽を事業として続けていくなら、営業・集客・マーケティング・財務・世の中のトレンド(今ならブロックチェーンやAR・VRなど)に触れていく必要があると思います。
吉田:コロナ禍でますます音楽家の人たちは将来について深く考える機会が増えましたが、今後も何が起こるか分からない時代なので、将来の働き方を考えるなかで藤井さんの生き方に刺激を受ける人も沢山おられるはずです。
藤井さんのこれからのご活躍を楽しみにしています。本日はありがとうございました。
<藤井一弥さんコンテンツ>
Twitter:https://twitter.com/kazupiso_sax