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オペラの本場!イタリア留学の魅力に迫る
誰もが悩む留学先、イタリアを選んだ決め手は!?
こんにちは。イタリアで声楽を勉強しております、原 あいら(はら あいら)と申します。
この7月から第2期NSP奨学生に選出していただきました。
こちらのブログでは「私がイタリア留学を決めた理由」「現地の様子とロックダウン以前の活動」そして「ロックダウンになった後のイタリア」について、3回に渡って書いていきますので、どうぞよろしくお願いします。
はじめに自己紹介
©JUMPEI TAINAKA
私は現在、イタリアのマントヴァ国立音楽院に所属しています。
学生という身分ですが、音楽院というのはロシアのバレエ学校やシェフの方々がされる料理留学と同じで、ただ学ぶだけではなく、プロとして演奏のお仕事も行っています。
イタリア、ドイツではソプラノソリストに抜擢されました。
実は昨年、ロックダウン中のイタリアで、隣人のオペラ歌手とバルコニー越しにデュエットを行ない、テレビやニュース記事など多くのメディアに取り上げていただきました。
もしこのブログを読んでいる皆さんの中にも、私のことをちらっとでも知ってくれている方がいたら、とても嬉しく思います。
現在、なかなか演奏活動はできない状況ですが、私の出身地でもある愛知県のプロオーケストラ、中部フィルハーモニー交響楽団様と遠隔リモートで歌わせていただいたり、オンラインを通して日本でも活動を続けています。
(もしよかったら詳しいプロフィールや活動内容を載せているこちらのHPやTwitterも見てみてくださいね)
https://www.haraaira-official.com/
https://twitter.com/aira_musica_sop
私が音楽を始めたきっかけは、3歳のYAMAHAピアノ教室でした。先生は歌も教えてくださり、小学校の頃ミュージカルの舞台で歌う経験もしました。
その影響か、歌が大好きになった私は、中学から本格的に声楽を学び始めました。その後、音楽科のある高校に入学し、音楽大学、大学院で学び、現在に至ります。
私に留学の機会が訪れたのは、少し遅めです。皆さんも進路にはきっと迷ったりしますよね。私も進路の節目の度、留学は常に頭の片隅にあったのですが、学部を卒業する頃、留学か大学院進学か決めかねていました。幼い頃からのピアノの恩師に「留学に迷っているなら、素晴しい先生がいるから」と、ドイツ人の先生を紹介していただき、また友人からの助力もあり無事にその先生の門下に入ることができ、大学院に進学しました。
その先生は鹿児島でも教鞭をとっておられ、修士号を取った後、博士課程に進学しました。
「いつか、ヨーロッパで歌いたい」
日本にいる間、常にそう考えていました。本場の劇場の様子、歌手たちの声、テクニック、演技、文化が生まれた街・・・これらをどうしても知りたかったのです。
どうやって留学先を見つけるの?
マントヴァのドゥカーレ宮殿内、星座の間
ですが私の場合、はじめはどこに留学したいのか、国もなかなか決まらず・・・。留学というと、憧れの作曲家の地に行くとか、自分の専攻楽器の栄えているところに行くとか、いろいろな選択肢がありますよね?
迷っていた中、転機が訪れました。
それは、友人の紹介で受講したイタリアでのマスタークラスでした。その際に先生が、私の声を気に入ってくださり、なんと推薦書を書いてくださいました。その方が、イタリア国立マントヴァ音楽院の教授の先生だったのです。
イタリア留学へ
その後は必死にイタリア語を勉強し、手続きなどに追われつつ、また資金調達のためにクラウドファンティングに初挑戦したものの、達成できず、苦戦しつつも(良い経験になりました)、なんとか無事に留学できることに!
渡伊してからは、周りのレベルの高さに驚くばかり。例えばテノール(男性の高声)が、ハイCという最高音を、難なく出してしまいます。しかも、軽い声種ではなくリリックやスピントの重めの声でそれをやってしまいます。学部を出てすぐヴェローナの野外歌劇場のオーディションに合格して歌う人も。
授業で取り扱うレパートリーはイタリア・ロマン派が主です。日本では「学生には重すぎる」と避けられるイメージがあった作品も、どんどん歌わされます。それでも喉が壊れないのは、やはりベルカント教育のおかげかもしれません。これら現地の教育や、レッスンの内容など次回で詳しく掘り下げていきます。
(続く)
最後までお読みいただきありがとうございました。次回はいよいよイタリア編「ロックダウン前のイタリア現地での活動」(8月6日更新予定)をお送りします!
どうぞお楽しみに!