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NSP奨学生執筆記事

音楽家として科学研究にも挑戦する生き方とは

こんにちは。この度第二期NSP奨学生に選出いただきました村松海渡と申します。奨学生として毎月1度、このブログの場をお借りして発信を行ってまいります、どうぞよろしくお願い致します。

私は現在、東京大学総合文化研究科や外部研究機関において、音楽演奏にまつわる研究を行いながら、多面的な音楽への貢献を模索しています。そこで最初の回では私がどんな探究をしているのか、なぜそんな事をしているのかを、自分の言葉でご紹介していこうと思います。

なぜ音楽演奏を研究するのか

私は幼少期からピアノ演奏を中心に音楽に関わってきましたが、本番では緊張して失敗したり、コンクール前にはこんつめた練習した結果腕を痛めたりと、とりわけ大きな「演奏時の身体へのコンプレックス」を持っていました。

また、その様な経験に加えて、音楽を学ぶ中で「なぜ?」という気持ちを感じることも人一倍多かった様に思います。楽器を問わず音楽演奏をされる方であれば、レッスンを通じて先生の指導を通じて演奏が劇的に変わって驚いたり、一方で「脱力してよ!」と言われる度に腑におちず首をかしげたりした経験が少なからずあるのではないでしょうか。



(少し余談ですが、このように間違った体の使い方をすると音が鳴ってくれないピアノを作ったりしました。他の楽器なら演奏方法によって、そもそも音がなってくれない、ということがあると思います。それをピアノにも実装しよう、といった着想を得ています。)

私は、そのような音楽を学ぶ者としての“酸いも甘いも”な経験から、世界中の素晴らしい音楽家や教師の方々が体得されたあらゆる経験知を科学の力“も”使って抽象化したり、音楽家の身体上の科学的な問題設定に音楽家の視点“も”使ってメスを入れることに取り組んでいます。

これらの目的はひとえに、音楽を前進させることにあります。つまり、次世代の音楽家が「同じ失敗を繰り返さない」ために、また「これまでの発見を大いに活用する」ために、まだまだできることがあると僭越ながら考えているのです。

具体的な取り組み

現在取り組んでいる研究は2つあります。一つは「小脳の運動学習機構に着目したフォーカルジストニアの発症原理」に関する研究です。

フォーカルジストニアとは音楽家の約1%に発症する脳を中心とした疾患で、例えば楽器を弾こうとした時にのみ、大切な部位(ピアニストなら小指、金管楽器奏者なら唇)に障害(違和感や不随意な緊張など)が生じるといった深刻な難治性の疾患です。

この発症原理を従来の研究よりも詳細な、脳の細胞レベルで明らかにすることで、その疾患をどの様にしたら予防・治療できるのか、といった更なる研究につながる基礎的研究を、数理モデルや生体実験を用いて行っています。

もう一つは、「ある練習方法の身体上と演奏上の変化」を調べる研究です。どのような練習を対象にしているのかはまだご紹介できないのですが、音楽演奏をされる方であれば、リズム練習やスタッカート練習という様に、練習を「工夫」された経験があるのではないでしょうか。

現場で既に高い効果があると考えられる“ある練習”が、実際に身体にどの様な効果をもたらしているのか。また、更にそれはどのようにして演奏に変化をもたらすのか。その様な疑問を生理的な解析も含めた手法によって明らかにすることで、音楽家や教師が練習法を適切に処方したり、従来考えられなかった新しい活用法を見出すことを目指しています。

音楽家が研究に取り組む意味

今回ご紹介した取り組みを含め、研究の1つのゴールは論文を出すことにあります。確かに論文は人類の知識の礎として重要ですが、私の取り組みに限って言えば論文を出すだけでは不十分だと考えています。つまり、得られた知見を実際の音楽の現場でどの様に活かせば良いのかというような、知見を「還元」する取り組みまでを私は探求の対象としています。それこそが私自身が科学の専門性を生かした「音楽家」として「音楽」に貢献する使命だと考えているのです。

 

コンサートと並行して実験会を行ったりもしました

更に、これらの取り組みは音楽演奏にとって、怪我を防ぎ、思った通りに体を動かせるという意味で、単に便利で役に立つ、というだけの存在ではないと私は考えています。つまり、音楽家という表現者としての立場から、演奏における身体というキーワードを中心に新しい視座を拡げることは、それ自体が新しい芸術の視点にもつながるのではないかと予測しています。

機能和声学という分野をご存知でしょうか。それは数百年前に比較的混沌とした作曲の現場に対して、当時の自然科学を用いて抽象化した理論体系を創始したジャン=フィリップ・ラモーの貢献を主に指しています。体系化された和声学は作曲を学ぶ上で便利なだけでなく、それ自体が芸術作品を解釈し、面白さを伝える上での言語になっていると思いませんか。

例えばベートーヴェンのテンペストがなぜ“新しい”のか。その1つは“ドミナント”から始まることにあると考えますが、そもそもそれは従来の理論のとしての“型“があってこその“型破り”ではないでしょうか。いかに型破りなのかを、和声学という言語“なし”に伝えられるでしょうか。

従って、私にとって機能和声学は次のようなアナロジー(推論)のヒントになっています。それは演奏方法論における科学を用いた抽象化が一つの秩序として和声学と同様に芸術上の言語になる得るではないかという予測です。それこそが、音楽演奏という芸術に新しい見方を提供するという、私の芸術上のロマンにもなっているのです。

次回予告

これまで、私が現在取り組んでいる研究を中心に自己紹介をしてまいりました。次回から2回分の連載では、主に進学選択を控えた中高生へ向けて、「音大か、一般大か」といった悩みに関して、一般大を選択した私の経験をご紹介したいと思います。

一般大を選択すると、音楽を営む上ではどの様な難しさがあったり、一方で、どの様な可能性が広がるのでしょうか。私自身、未だ進行形、模索中の人生ですが、ぜひ参考にしていただけるような記事を書きたいと思いますので、併せてご覧いただけましたら嬉しいです。

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