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吉田佐和子執筆記事

信念と情熱を持って、自分軸の人生を生きるーコントラバス奏者・井口信之輔さん【前編】

皆さんこんにちは。クラリネット奏者の吉田佐和子です。

今回は、コントラバス奏者で吹奏楽やオーケストラまで多くの団体の指揮・指導にあたる井口信之輔さんにインタビューしました。

井口さんは、コロナ禍でもウェブを活かして様々な活動を展開されており、先日発表されたコントラバスを演奏する人と指導する人に知っておいてほしい基礎・基本をまとめた『明日のためのレッスンノート』はリリースから2週間で500ダウンロードを突破しています。

井口さんの大学卒業時の進路の決め方や、ウェブでの発信がリアルの仕事に繋がった際のこと、そしてコロナ禍で始められたユニークな取り組み『回数自由のオンラインレッスン』についてお伺いしました。

<井口信之輔プロフィール>
1987年、千葉県生まれ。船橋市立葛飾中学校管弦楽部にてコントラバスと出会う。千葉県立市川西高等学校(現・市川昴高校)を経て洗足学園音楽大学へ入学。演奏家、指導者としての活動に「発信力」を掛け合わせ新しい時代の音楽家の生き方を模索している。

進路決定の決め手となったこと

吉田:こんにちは。今日はよろしくお願いします。まず最初に、音大卒業後の進路を決められたときに重要視されたことを教えていただけますか?

井口:よろしくお願いします。僕が卒業時に重要視したのは、絶対コントラバス奏者になる= 楽器は続けるということと、就職せず、収入は考えずに夢を追うってことですね。

まず、僕は大学卒業前の4年生の時期は、大学院とか他の学校の研究科とかディプロマコースに進学しようと思ってたんです。

その理由としては、弦楽器って割とみんなオーケストラを目指すことが多くて、卒業して進学して、そこでもっと勉強して、プロオケのエキストラにのって、フリーのコントラバス奏者になってオーディションを受けるっていう、いわゆる王道ルートがあって。僕もそういくんだろうな、と思ってました。

吉田:そうなんですね。わたしは卒業後に楽器を続けるかどうか悩んだこともあったんですが、就職せずに楽器を続けるという思いはずっと揺らがなかったんですか?

井口:そうですね。まぁちょっと強がってたところもあるんですけど。ただ、奨学金を借りていたので、卒業後1年間はお金を貯めて、そのあと悩みに悩んで桐朋学園大学(以下桐朋)の研究科に行こうと思ってたんです。

そこに尊敬するコントラバスの先輩がいて、今すごく充実した環境で勉強ができてるって聞いていたのと、僕は洗足学園音楽大学(以下洗足)しか知らなかったんですが、良い先生に習って今こんなこと勉強してるんだよ、とか教えてくれたり、そういう話を聞かせてもらうのがすごく新鮮で興味を持ちました。

あと、吹奏楽指導にも興味があり合奏を指導するには指揮を学んだ方がいいなと思い、桐朋では指揮の勉強もできることも魅力に感じました。進学すると大学を卒業したあと2・3年は時間があるので、そこでまた頑張ろうと思ってましたね。

吉田:なるほどなるほど。

井口:ただ、洗足の4年生のときに新しく就任されたコントラバスの先生(東京フィルハーモニー交響楽団・黒木岩寿氏)の就任披露演奏会を聴いたときに『あ、この先生につきたい』と気持ちが揺らいだんです。

奏法も考え方も違うので、門下を変わるっていうのはすごく大きな決断ですし、その先生に習うのか、別の大学に進学するのか、すごく迷ったんですよね。結局ずっと悩んで卒業したんですけど、翌年の夏に先生が講師を務める室内楽セミナーへ参加しレッスンを受け、そのまま先生の元で勉強していくことを決めました。

で、学生の頃は音大を卒業したらアルバイトをしながらみんな活動してるんだよっていう話をよく聞いていたので、卒業する前は、きっと自分もアルバイトをしながら音楽活動をするんだろうなって思ってました。

そのときの心境はものすごくポジティブで。だいたいみんな30歳で見切りつけるって聞いてたんですけど、大学って4年間あるじゃないですか。

卒業したら22歳だと思うんですけど、その4年間があと2回あるって思ったんです。この充実した時間があと2回もあるって思うと、この8年で自分はどれだけ変われるんだろうって思って。

吉田:その考え方、素敵ですね!わたしも大学卒業してそんな考えでいられたら過ごし方が変わったかもしれません。

井口:正直4年間ずっと洗足で過ごしていたものの、ちょっと限界を感じていて。やっぱり外の世界を知らないというか、例えばちょっと学内で褒められたとしても他ではどうなのか?っていうことを知らないじゃないですか。そういう思いもあったんですが、悩みに悩んだ結果、進学をやめたんですよね。

吉田:そうだったんですね。進学をやめると決められたとき、一番大きな決め手になったことは何だったんでしょうか?

井口:やっぱりお金ですね。学費にお金を使うより、自分に使った方がいいって思ったんです。

大学で習おうと思ったら、入学金や授業料が必要になります。そして、全部自分で払わないといけないので奨学金を借り直すと思うんですよ。そうなると、進学したときにかかるお金って、普通に大学4年間いくよりは安いお金だと思うんですけど、やっぱり100万とか大きいお金が動きますから。

吉田:確かにそうですね。現在は指揮者としても活動されていますよね。指揮を学ぶことに関してはどのようなアプローチをされたんでしょうか?

井口:指揮は、まず大学4年生のときに地元の高校のOBバンドの演奏会で初めて指揮をする機会があったんです。

母校の後輩たちとは定期演奏会が終わったあとにご飯に行ったりして、すごく仲が良い関係が続いていたこともあって、大学卒業1年目の冬には、またOBバンドで演奏会をやりたいのでそこで指揮をお願いします!と後輩から相談を受けました。

そこで指揮をもっと本格的に勉強したいと思い、学生の時に授業でお世話になっていた先生に連絡してレッスンに通って、指揮の基礎的なことを身につけました。

攻めの姿勢を崩さなかった卒業後の生活

吉田:なるほど。今お話を聞いていて、ポジティブな気持ちで進路を決められたのがすごく良いなって思ってて。どんな風に生きても何かしら後悔することってあると思うんですが、わたしは経験上守りに入った選択は、また後から攻めの選択に変えることも多かったんですよね。

井口:なるほどなるほど。僕はもうとにかくやりたいことを実現させるために、コントラバス奏者になるっていうので突っ走っていた感じでした。あと、僕が卒業後に思ってたのは絶対大学には残らないってことです。

洗足は卒業生へのサポート体制がとても充実していて、演奏会や授業をまとめている職員として卒業生が働いていたり、オーケストラの授業など実技系の授業をサポートする演奏補助要員に採用されたら演奏会への出演依頼がきたりして音楽を仕事にできる環境があるんですけど、僕はそこに甘えちゃうなと。

なので戻るとしたら外で仕事ができるようになってから。だから僕は強がって洗足には残らないって言ってました。

吉田:それはすごいですね。そうして宣言することで、大学に関わりのない場所での仕事を広めていかれたんですね。

井口:それから5年くらい経ったとき、演奏会への出演依頼のメールが来てその機会をきっかけに洗足の演奏会にも参加するようになりました。

卒業するときに強がってた気持ちもだんだんなくなってきて、色々やって5年も経ったしその時はもういいかなって思って。それで5年ぶりに洗足へ行ったら、後輩たちがあたたかく迎えてくれたりして、色々懐かしくなってやっぱり母校はいいなと思いました。

アルバイトをやめて音楽だけで生きていくようになれた理由

吉田:ちなみに、大学卒業後はどんなアルバイトをされてたんですか?

【参考】『アルバイトをする? or しない?』A or B/あなたが選択すべき人生の分かれ道 Vol.2

井口:朝ドトールコーヒーで、夜はくら寿司で働いていました。朝5時に起きて、6時に出勤して13時まで働いて、夜は20時か21時から24時すぎまで働く生活をしてたんですけど、その合間に練習したり、レッスンを受けたりしていました。

僕ずっと手帳残してるんですけど、いま卒業してすぐの2010年4月の手帳を見てみると、もう真っ白なんですよね。ずっとバイトが入ってて、本番が1本だけ入ってて、それがアマチュアオーケストラのエキストラの仕事なんですけど、このとき音楽の仕事での収入は1万5000円ですね。

当時の手帳を振り返る井口さん。後ろには指導校の生徒たちから送られた色紙が飾られていました。

吉田:確かに、わたしもフリーランスになってすぐの頃はバイトの予定がびっしり入ってました。

井口:あの頃は本当にバイトの嵐でしたね。でも、何かやっぱり新鮮だったし、これからどうなるんだろうっていう希望の方が強かったですね。

僕は卒業してアルバイトをやめるまでは7年かかったんですが、卒業して3年目から昭和音大の合奏研究員というオーケストラの授業と演奏会をお手伝いする仕事をしていて、そこではじめて音楽での固定収入が入ってきたんです。

そのお仕事は5年契約のお仕事だったんですが、そのお仕事が終わる1年前に、音楽だけでやっていく準備をはじめ、音楽の仕事も増えて来て「これなら行ける」と、卒業6年目にドトール、翌年にくら寿司のバイトをやめました。

ただ、卒業して8年目に精神的にも金銭的にも大きな壁にぶち当たったんです。本当にどん底でした。

前年に発信をきっかけにしたお仕事が増えてきたり、吹奏楽団の指揮をするようになったし、指導校もすごく増えて仕事もあって、吹奏楽コンクールが終わるまでは本当にがむしゃらにかけぬけたんです。

でも、9月になると全て終わりになって、吹奏楽コンクールも終わったあとに見た景色がまったく前年と同じで。つまり、吹奏楽コンクールに向けたレッスンのことばかり考えていて、それ以外のことを完全に見落としていたんです。

そのときは昭和音大の固定収入もなくなっていたし、仕事も安定せず収入もガタ落ちしたので、すごくショックで。「お前今年も同じ景色見てんの?」という声が自分の中から聞こえてきました。

1年かけて準備してこれかよって思って。しかも昭和音大を退職する時の送別会で将来のビジョンを豪語してたけど、全部叶えられなかった口だけ野郎になっていて、もうボロボロでした。

結局またバイトをするしかなかったんです。ここでプライドを捨てて派遣の仕事をすることにしました。

ただ、そのあと発信を通して生まれたコミュニティーを育てていくことができ、派遣の仕事をすぐに辞めて演奏家としての活動と合わせて音楽で食べていくことができたんです。

新しい仕事を受けられるように、やらないことを決め、広げた風呂敷を畳み、スケジュールに「未来への余白」を作ることも意識しました。

2019年には、発信を通して生まれた仕事の一つ「平日吹奏楽団」という企画から「よこはま月曜吹奏楽団」が生まれ指揮者を務めるようになったり神奈川県にある平山音楽院という音楽教室での講師の仕事や弦楽のオーケストラでの指揮のお仕事もいただきました。

あと、部活動指導員という形で私立の学校と関わるようになって、ここでやっと精神的にも金銭的にもぶち当たった壁を越えることができました。

そこではお仕事を増やしていくと言うよりも、1対1の関わりを大切にして育てていくように心がけていました。

仕事を増やしていけたのは、コントラバス奏者という軸をしっかりつくって、そのなかで出会った好きなことや得意なことをどんどん自分の活動にかけあわせていけたからだと思います。

例えば、コントラバス奏者×吹奏楽とか、弦楽器奏者の視点×吹奏楽指導、音楽家×ブログなどですね。僕はそういう風に好きなことや得意なことを生かして活動の領域を増やしていきました。

吉田:好きなことや得意なことだと熱中して取り組めますし、世界も広がりやすいですね。

井口:あとは、発信するようになったことで営業をしないようになりました。僕が営業をする代わりに、ブログが24時間僕の活動を宣伝してくれるからです。

吉田:本当に、ウェブで発信していると思わぬところで人とのご縁が繋がったり、お仕事のお声がけをいただくことがありますよね。もちろん発信することは簡単ではないですが、わたしも時間をかけて取り組んだことは必ず返ってくると実感しています。

~後編(9/24公開)に続く~


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