音楽家のサバイバル術A way for musicians to survive

特集『輝く7人の音楽家たち』(全7回)

演奏機会が少ない楽器だから、自分のポジションは自分で作る | ユーフォニアム奏者・円能寺博行さん

10/29のイベントに、ネクストステージ・ウインドオーケストラのメンバーとして参加してくれた7人の輝く音楽家のインタビュー。今回で3回目となります。

Vol.1、Vol.2はこちら。
Vol.1 可能性が無限大の “ フリーランス ” という生き方 / 佐藤秀徳さん(トランペット)
Vol.2 音楽に没頭出来る環境で4年間やりきる、それが財産になる! / 太田友香さん(クラリネット)

今回はユーフォニアム奏者の円能寺博行さんです。
円能寺さんとは、僕が主宰している「Hero’s Brass」に参加してくれていた、共通の友人のトランペット奏者を通じて知り合いました。

その場所はなぜかビッグバンド(通常、管楽器はサックス、トランペット、トロンボーンしか使わないジャズの編成)。

僕もいろいろと珍しい事をやるのが好きな人間なので、そこにユーフォニアムの円能寺さんがいるのを特に不思議だとは思っていませんでしたが、今回のインタビューで、彼がいかに自分から動いて今のポジションを築いてきたか、理解が出来たような気がします。

Vol.3 演奏機会が少ない楽器だから、自分のポジションは自分で作る

円能寺博行さん・ユーフォニアム(東京藝術大学卒業/フリーランス)

吹奏楽、ユーフォニアムの魅力にハマった中学・高校時代

―― 円能寺さんがユーフォニアムを始めたのはいつですか?

中学1年生です。どの部活に入ろうかと迷って、ちょっと遅れて吹奏楽部に入部したら、ユーフォニアムしか残っていなかったんですよね。でも、すぐにハマりました。

小学校では楽譜も読めないし、歌も楽しくないしで、音楽の授業が嫌いだったんです。でも、吹奏楽はそれとは別世界。カッコ良かったですね。それに、周りが1週間くらい苦労してようやく音を出せたのに、僕は初日に出来ちゃったんです。「え?もう音出たの?」と驚かれて、これはいけるかもと思いました。

―― その後、どんな学生生活を送っていたんでしょうか?

とにかく毎日、朝から晩までずっと部活の時間以外も楽器を吹いていました。中学2年生の頃には、バンドをバックにソロを吹かせてもらえるようになったんです。

お客さんも「中学生でこんなに吹けるの?」って見に来てくださるようになって、市民バンドや一般バンドにゲストとして呼ばれていました。それで「プロとしてこういう仕事が出来たらいいな」と思うようになりました。

たくさんの仲間に出会った藝大での生活

―― 藝大に行こうと決めたのは?

高校2年生くらいです。受験では副科ピアノに苦労しました。子供のころからやっていれば良かったと今でも思います。入学してからは、たくさん練習したのはもちろんですが、よく飲み、よく食べ、よく遊んだ、楽しい学生生活でした(笑)。

大学1年生のころからグループを組んで活動していましたね。藝大では、音楽的にも技術的にもレベルの高い仲間とともに多くの経験が積めました。今、仕事に行くと必ず、藝大の先輩や後輩、同級生に会います。プロとして活動するうえでの人間関係のベースが藝大時代に出来たのかなと思います。

ユーフォニアムでプロとして生活するために

―― 卒業後、苦労した事はありますか?

ユーフォニアムは演奏の現場がものすごく少ないんです。オーケストラにはない楽器だし、吹奏楽でも、日本では三大吹奏楽団と言われる東京佼成ウインドオーケストラ、シエナ・ウインド・オーケストラ、オオサカ・シオン・ウインド・オーケストラと、警察や消防、自衛隊の音楽隊などしかレギュラーの仕事はありません。

僕はそれらに所属しているわけではありませんが、ユーフォニアム奏者以外の道を考えた事はなかったです。あまり苦労したという意識はないですね。

―― 苦労せずに続けてこられたのはなぜだと思いますか?

演奏だけでなく、指導の仕事など、いろいろな事をがむしゃらにやってきましたから。ユーフォニアムはほかの楽器の人と同じ範囲で活動していたら、この先、右にも左にも、前にも後ろにも進めません。

実は藝大にいる間は、上の代も下の代もユーフォニアムの学生はゼロだったんです。ちょっと寂しかったですが、だからこそ、「自分からどこかに入っていかないと」と考えていました。金管五重奏にもユーフォニアムはないので、これまで何曲もアレンジして、自分のポジションを自分で作りました。

(このブログの執筆者である)藤井君が主宰している「Hero’s Brass」に「僕もメンバーに加えてほしい」と持ちかけたのも、そうした行動の表れだと思います。

ユーフォニアムは知名度も使用頻度も低いんです。最近、『響け!ユーフォニアム』というアニメでようやく知られてきたくらい。そういう楽器ですから、自分から何かを作っていかないと。

業界の相場を下げてはいけない!

―― 指導の仕事などでは、ギャラ(報酬)の交渉は難しくないですか?

すごく難しいです。学生のころは(経験、実績を積むために)「交通費だけいただければいいですよ」と言って教えていたんですが、卒業後は自分で金額を設定しました。「高いですね」と言われる事もたまにありますが、値下げはなるべくしないようにしていますね。

その代わり、その金額で受けてくれる僕の弟子や後輩を紹介します。学校の先生は横のつながりが強いので、一度値下げすると、「あの先生はこの金額でやってくれた」とほかの先生に伝わり、相場が下がってしまうんです。

僕より安い金額で指導する人に仕事を取られても、そこから戻って来る場合もあります。結局は質と、実績を残す事が大切なんですよね。

たとえば、吹奏楽コンクールで「円能寺先生に習った子のソロが凄く良かったね」と評価されると、ふだんは安い先生に指導を受けていても、いざユーフォニアムのソロがある楽曲のレッスンとなると、こちらに声がかかります。

また、弟子を藝大やほかの音大に合格させていますし、その子たちのその後の活躍も、僕の実績と言えるかもしれません。

―― そうやって仕事が増えていくんですね?

自分で主催したリサイタルの時に、楽屋に来てくれた学生さんやお母さんから直接指導を依頼された事もありました。自分から行動を起こせば、絶対に何かにつながるんです。

だからネガティブに考えないで、まずやりたい事を実現させてみるのが大切です。リサイタルをやりたいなら、開いてみる。もしもお客さんが入らなかったり、赤字になったら、次は集客やお金の事も考えるようになるでしょう。学ぶ事はたくさんあります。

やりたい事をとにかくやり続ければ、それが種になる。いつ芽が出るかはわからないけど、いっぱい種を蒔いておくとひょんなところで実るんです。今、僕が音楽を続けていられるのは、それをやってきたから。特にフリーランスで続けている(生き残っている)人は、皆そうやって自分から行動を起こしていると思いますよ。

―― 最後に、音楽を生業とするうえで最も大切にしている事を教えてください。

聴いてくださる方に感動を与えるために、日々研究と練習を積む事、そして「仲間」です。

オーケストラでもアンサンブルでもソロでも、ユーフォニアムが使われている音楽はまだまだ少ない。だから仲間を大切にして、ユーフォニアムという楽器をもっと広めていきたいですね。

円能寺博行

 神奈川県出身。東京藝術大学卒業。2001年第18回日本管打楽器コンクールユーフォニアム部門第5位入賞。
これまでに稲川榮一、露木薫、山本訓久の各氏に師事。
現在、東京アトラクティブ・ブラス、アンサンブルペガサス東京、Peer Tone Ensemble、TADウィンドシンフォニーの各メンバー。
東海大学教養学部芸術学科、横浜市立戸塚高等学校音楽コースの各非常勤講師。
また、ユーフォニアム&バストランペット奏者としてオーケストラ、吹奏楽、アンサンブルを中心とした演奏活動を行っているほか、吹奏楽指導者としても中学・高等学校をはじめとする多くの団体の指導に力を注いでいる。

今回の円能寺さんのインタビューのキーワードは、

  • 自分のポジションは自分から動いて作る
  • 仲間を大切にする
  • ギャラ(報酬)の相場をむやみに下げてはいけない

この3つだと感じました。

また、「生き残っている人は皆、当たり前にそれをやっている」という言葉も印象的でしたね。僕自身もそうだったと思います(今でもですが)。

自らリサイタルを開催する事で演奏レベルを上げるとともに、フリーランス(個人事業主)としてやっていくための経営ノウハウを自ら学んできたというのは素晴らしいですね!

円能寺さんが藝大時代に学内の仲間で組んでいた金管アンサンブルのメンバーは、今、ほとんどの方が、厳しいオーディションを通過して、オーケストラのポジションを得ています。オケに入るようなレベルの人たちでも、受け身ではなく(学校のカリキュラムどおりに言われた事をやっているだけでなく)、自ら動いて自分にプレッシャーをかけ、レベルを上げているんですよね。

やはりそのためには、「意識の高い仲間の存在」が必要だと言えるでしょう。藝大はその点で恵まれているかもしれませんが、個人的意見としては、ほかの音大や専門学校の人も、もっと学校の枠を超えて交流、切磋琢磨してほしいと思います(ネクストステージ・ウインドオーケストラも、そういった意図も踏まえ、いろいろな学校からメンバーを集めました)。

お金の事も、特に日本は口に出す事をタブー視される風潮がありますが、自分の価値をアピールし、その対価を受け取るというのは、プロとしてとても大切な事なんです。
とても有意義なインタビューとなりました。

円能寺さんとはこれからも何らかの形で共演させていただきたいと思います。ありがとうございました!

次回記事:Vol.4 音楽をやっていくなら、出会い、そして人間関係を大切に / 塩浜玲子さん(マリンバ)
前回記事:Vol.2 音楽に没頭出来る環境で4年間やりきる、それが財産になる! / 太田友香さん(クラリネット)

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記事を書いた人

藤井裕樹
藤井裕樹(フジイヒロキ)

NPO法人ネクストステージ・プランニング音楽ディレクター。中学でトロンボーンを始め、大学には行かず19歳でプロになる。ジャズやポピュラー音楽を中心に、某人気テーマパークでの演奏や、有名ミュージシャンとの共演多数。詳しくは「ネクストステージ」へ羽ばたく若い音楽家の皆さんへ

HP: https://mtfujimusic.com/

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