音楽家のサバイバル術A way for musicians to survive

特集『輝く7人の音楽家たち』(全7回)

ホルンはいい音だという事を一人でも多くの人に伝えたい!| ホルン奏者・中澤幸宏さん

『輝く7人の音楽家たち』も、残すところあと2回となりました。

今回はホルン奏者の中澤幸宏さんです。Vol.2の太田さん同様、Vol.1の佐藤君の紹介でネクストステージ・ウインドオーケストラに参加していただきました。

僕はジャズやポップスの仕事が多いので、クラリネットやホルンなどの奏者と知り合う機会が少ないのですが、このような大きいイベントを通して、良い奏者から、また良い奏者を紹介され、その世界が広がっていくのもフリーランスの魅力と言えるかもわかりませんね。

インタビューを読んでもわかると思いますが、中澤さんもまたストイックで、音楽に対し真摯に向き合っている素晴らしい奏者でした。

Vol.6 ホルンはいい音だという事を一人でも多くの人に伝えたい!

中澤幸宏さん・ホルン(尚美学園短期大学卒業・バンクーバー音楽院アーティスト・ディプロマ修了/フリーランス)

やるならトコトン。ホルンでどこまで出来るか?

―― 中澤さんのホルンとの出合いについて聞かせてください。

小学校の音楽鑑賞の授業で、先生がホルンのレコードを聴かせてくれたんです。その時から虜になり、小4の2学期にブラスバンド部に入部、中学校でもそのまま続けました。

高校では楽器をやめてラグビーをやろうかなと考えていたんですが、入学すると、廊下に応援団の吹奏楽部の先輩が並んで待ち構えていて、ラグビー部には入れなかったんですよ(笑)。

やるならトコトンという性格なので、高校からは本格的にレッスンに通い、尚美学園短期大学に進学しました。

―― 中澤さんは早くからプロを目指していたんですか?

実は、学校の先生になろうと思っていたんです。でも、僕はホルンがうまくて入学出来たわけではなかったので、どうせなら、自分がどこまで出来るか試してみようと考えるようになりました。プロになれる可能性のバロメーターにするために、実技試験で一番になって卒業するという目標を立て、結果、それを実現しました。

そんなふうに頑張っている時、あるホルン奏者の来日コンサートに行ったんです。もの凄く感動して、コンサートの後、彼の楽屋に行ってその想いを伝えると、「カナダに来ないか」と言ってくださり、それで留学を決心しました。これが恩師のマーティン・ハックルマンとの出会いです。

カナダ留学で学んだ事

―― それでバンクーバー音楽院に留学されたんですね? その間にどんなことを学びましたか?

バンクーバーでは徹底的に基礎的なトレーニングを叩き込まれるんですが、それが良かったですね。演奏法のトラブルがあると、その原因をきちんと探るんです。そして、「君がミスをしたのは、こういう練習をしていないからだ」という事をしっかり教えてくれる。それが重要なんです。自分の調子が悪くなった時の改善方法がわかるようになりましたね。

日本人の悪い癖で、外国人は皆、楽器がうまいと思っています。外国人コンプレックスというやつですね。うまいだけなら日本人にもたくさんいるんですが、欧米で大切にされている感覚はそこではないんです。

細かいミスを気にするのは日本人に多いかもしれません。ミスにこだわるというのは、真剣に向き合っている証拠ではあるけど、音楽の良し悪しはそこではないのではないでしょうか。「ミスをしないように」という音楽はとてもネガティブですが、欧米ではもっとポジティブに「良い音楽、サウンド」を追求している気がしますね。

一生続けていくには強い想いが必要!

―― 帰国してからはいかがでしたか?

バンクーバーでも仕事はしていましたが、だからと言って、帰国して日本で仕事がある保証はありませんでした。ただ、実力さえあれば、必ず誰かに認めてもらえるチャンスがあると信じていました。それをつかむのは自分自身でしかないので、練習だけは絶対にさぼらないようにしていましたね。たまたまスタジオミュージシャンの方と知り合って、録音の仕事をいただけるようになりました。それと、ミュージカルの仕事ですね。

今は、ミュージカルとオーケストラが半々くらいです。在京のオーケストラのエキストラに行ったのは34歳くらいの時かな。

一応普通に生活は出来ていますが、一生続けていくとなるとそれなりに強い想いが必要だと思います。僕の場合は、たとえ帰国してすぐに仕事がこなくても、楽器をやめなかったでしょうね。それだけホルンに魅せられているし、ゼロからはい上がってきた自負もあります。

演奏活動を続ける中で、今まで吹けていた事が急に吹けなくなる人も多いんですよね。それを乗り越える芯の強さは必要なんじゃないかと、若い人たちを見ていて感じる事もあります。

―― 中澤さんは、ビッグバンドでも演奏されていますね?

5~6年前から呼んでいただいているんですが、当初は、ジャズマンに対する嫉妬が強かったですね。「どうやってアドリブ(即興演奏)を勉強したんですか?」と聞くと、「テキトー」なんていう答が返ってくる(笑)。カルチャーショックでした。

とにかく、ボキャブラリーの多さには感服しますよ。自分がこれまで、いかにジャンルにとらわれていたかを思い知らされました。いろいろな事を体感するのは大事ですね。

もともと、なんでもやりたがり屋なので、ジャズなど、ほかのジャンルにも積極的に挑戦していこうと思っています。来年は今年以上に、その次の年はまたそれ以上に。現状維持が一番つまらないですから。

目先の仕事より信用が大切!

―― 仕事に対するポリシーはありますか?

どんな仕事でも断らずに、いい演奏をすること。その中にもチャンスがあるし、目先のことで断るより、信用のほうが大切です。

たとえば、ある仕事を依頼されたとします。それを受けた次の日に、ミュージカルのような、長く続く条件の良い仕事が舞い込んだらどちらを取るか。「オイシイ」仕事を取るのも大事ですが、それは運ですから、先にきた仕事を選ばなければ先方にも申し訳ない。そうした経験は誰でも必ずあるでしょう。目先の事だけ考えずに、前者の仕事を選ばないと、信用がなくなる事もあります。

2000年に、ドイツのポンマースフェルデン音楽祭の首席奏者として呼ばれた時の事です。いろいろな金管アンサンブルなどのレッスンを受けていました。そして、あるドイツ人から、「フランクフルト放送交響楽団のエキストラにお前を紹介する」という話がきたのですが、その日はこの音楽祭のコンサートの本番。僕は迷わず断りました。「日本人は、なぜチャンスを得る事に躊躇するのか」と驚かれましたね。でも、そこでエキストラを引き受けていたらもっと成功したかというと、それはわかりません。

僕自身は、音楽祭で1ヶ月間に12回のコンサートがあって、リハ、本番を通じてヨーロッパの人たちの文化もよくわかったし、音楽祭は好評で、とてもいい経験をしたと思っています。

勝負は卒業してから

―― 後輩や、プロを目指す学生たちに伝えたいメッセージはありますか?

音大生であれば、その4年間でどれだけ練習するかが一番大事です。それと、勝負は卒業してからだという事。在学中にオーケストラに入る人もいますが、その才能は天性のもので、うらやましがっていても仕方ない。卒業してからが勝負なんです。卒業したら、師匠から離れ、自分で練習環境を整え、練習方法を考えなければならない。悩みは尽きないでしょうが、ダメかもしれないなんて考えていたら前に進めません。悩むのは生きている証拠、その先に未来があるんです。とにかく、練習を絶対にさぼらない。これが一番大事です。

―― プロの演奏家として充実を感じるのはどんな時ですか? これからの目標などがあれば教えてください。

まず、お客さんが「良かった」と言ってくれるのが一番嬉しいです。プロの演奏家として充実を感じるのは、ホルンがフィーチャーされて、それを自分がうまく演奏できた時ですね。ホルンは音に魅力があるんです。

ホルンじゃなかったら、今の僕はいない。ホルンは難しいけれど面白い。楽器の中でも中毒性の強いものではないでしょうか(笑)。とにかく音なんです。「うまいけど音が良くない」と言われるとショックですよ。

ホルンは、どうやっていい音を出すかが8割だと思っているんです。オーケストラでもシーンとした時に、ポンといい音を出せるか。そのつど恐怖を感じますが(笑)、それが出来る人は間違いなくうまい人。ホルンはいい音だという事を一人でも多くの人に伝えるのが、僕の人生のテーマだと言って過言ではありません。

中澤幸宏

 尚美学およびバンクーバー音楽院アーティスト・ディプロマ修了。
ホルンを宮田四郎、南浩之、澤敦、M.ハックルマンの各氏に師事。室内楽をR.コール、R.シュトゥワートの各氏に師事。
1999年ニューヨーク州チャタクァ音楽祭に奨学金を得て参加。2001年ドイツ・ポンマースフェルデン音楽祭に首席奏者として参加し好評を得る。現在はスタジオワーク、ミュージカル、オーケストラ、ビッグバンドなどで活動。

今回僕は、音楽ディレクターという立場上、指揮をする事になったのですが、ふだんは指揮者のいないジャズ、ポップスの現場が多く、ましてや自分が振る事はないので、かなり緊張していたのですが、リハーサルの後に飲みに行った際、「自信をもって振ってくれれば付いていくから!」と励ましてくれました。

インタビュー記事の中にもあるように、僕がジャズミュージシャンである事にも興味を持ってくれて、「アドリブってどうやるの?」といった質問も積極的にされていて、好奇心、向上心が強い人だと感じました。

このような意識の高い奏者と接するのは本当に良い刺激になります。現状維持がつまらないというのは僕も同感ですね。僕の印象ですが、現状維持で良いと思っている人は、そのレベルすら保てていない気がします。一流の奏者は常に上を目指しているのではないでしょうか。

次回はいよいよシリーズの最終回です。

次回記事:Vol.7 「好きこそものの上手なれ」好きならどんな苦労も乗り越えられる! / 福井健太さん(サックス)
前回記事:Vol.5 音楽家として自立するには「信念・情熱・感謝」が大切! / 黒田慎一郎さん(ドラム)

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記事を書いた人

藤井裕樹
藤井裕樹(フジイヒロキ)

NPO法人ネクストステージ・プランニング音楽ディレクター。中学でトロンボーンを始め、大学には行かず19歳でプロになる。ジャズやポピュラー音楽を中心に、某人気テーマパークでの演奏や、有名ミュージシャンとの共演多数。詳しくは「ネクストステージ」へ羽ばたく若い音楽家の皆さんへ

HP: https://mtfujimusic.com/

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