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NSU教育学部

カリキュラム教育のメリット・デメリット | NSU教育学部 Vol.2

シリーズNSU(Next Stage University)教育学部第2弾です。

突然ですが、皆さんが仕事や旅行で目的地を目指す時、地図を使う事はよくあると思います。朝早くに初めての現場に行く時などは(絶対に遅刻出来ないので)とても神経を使いますよね。

そんな時、地図だけでなく「何駅の何番出口を出て、最初の信号を右折、その後、突き当たりのコンビニを左折」といった具合に、細かい説明文があると迷う事なく目的地に到着出来るので、とてもありがたいわけです。

では、旅行はどうでしょうか?

目的地にたどり着くまで特に時間の制限がなかったり、「散策」自体が楽しみ(目的)だとしたら、細かい道筋を決められているのはむしろうっとうしいと感じる人も多いと思います。

今回のテーマ「カリキュラム教育のメリット/デメリット」とは、まさにそんな話。

カリキュラムのメリットは?

「カリキュラム」を日本語にすると「教育課程」とでも訳せば良いのでしょうか。

前回(→Vol.1『目的と手段』)取り上げた「義務教育」だけでなく、高校、大学まで、カリキュラムは幅広く使われています。僕は以前、大手楽器店の音楽教室の講師を務めていましたが、そこでもカリキュラムのようなものがあり、それを元に研修を受け、指導をしていました。

では、カリキュラムにはどんなメリットがあるでしょうか?

  • 全国どこでも不特定多数の人が均一的な教育を受ける事が出来る
  • (学校の)先生も、(音楽教室の)講師も、教える内容が決まっているので、実習、研修さえ受ければ、とりあえず先生としての役目がつとまる

こんなところではないかと思います。
つまり、習う側にも、教える側にもそれなりのメリットがあるからこそ、多くの教育機関でカリキュラムが存在しているという事ですよね。

先ほどの地図の話で言えば、「細かい道筋を説明してくれている」のがカリキュラム教育のようなもので、一見誰にとってもありがたい、万能なものにも思えますが、はたしてそうでしょうか。

カリキュラムのデメリットは?

旅行の例えを出しましたが、旅行というのは目的地に早くたどり着く事だけではなく、景色や町並み、ショッピングなどを楽しむのも目的の一つです。

予定していなかった場所に行ってみたら、偶然とても綺麗な夕日を見る事が出来たり、ちょっと遠回りをして路地に入ってみたら、偶然オシャレなお店があって、美味しいものが食べられたり、掘り出しものが買えたりというハプニングがあるのも旅行の醍醐味ですよね。

さて、これを人生に置き換えた場合、誰かに教わった通りの道を歩くのか、目的に合わせて柔軟に通る道を変えるのか、どちらがより人生に近いと言えるでしょうか?人によっては前者だと言う人もいるかもしれませんが、

すべて教わった道順通りに人生が進む事なんてまずありません。
生き方によって個人差はあるものの、人は多かれ少なかれ自分で切り開いた(考えた)道を歩んでいく必要があります。

現場に向かう時でも、地図に書いてある道が事故や災害で通行止の場合もありますよね。そういう状況になった時、過去の経験を元に新たな迂回ルートを探したりします。仕事に遅れないためには危機管理としてトラブルを予測し、少し早めに家を出たりするでしょう。

人生においては、地図よりもはるかに複雑なプロセスで、自分の通る道を選択していかなければなりません。

参考:下記シリーズはまさにこの話です。
『A or B/あなたが選択すべき人生の分かれ道』Vol.1 実家に住む? or 一人暮らしをする?

その基礎となるのが義務教育だと言えるかもしれませんが、日本の教育はあまりにも「カリキュラム通り」、「教科書通り」だと感じざるを得ません。

「人生という道に迷わないように、自立出来るように」や「人生そのものをもっと楽しむ」という「目的」があり、時には「最短距離を通って目的地に着くため」の「手段」、時には「旅行を楽しむため」の「手段」というふうに、もっと柔軟になるべきなのに、「一学期間にここからここまで教科書を進めないといけないと文部科学省に言われているから」というような、教えている先生のほうが義務でやっているのでは?と思わせるような教育になってしまっている学校も多いと個人的には感じています。

本来は基礎をしっかり身に付けたうえで、経験を積み重ね、応用出来るように指導していくのが教育と言えるのではないでしょうか。

料理のレシピも、会社の運営や工場の生産マニュアルも、それ自体は必要不可欠だと思いますが、みんなが均一、同一なものしか作り出せなかったら、それはロボットと同じですよね。

次回は「日本と欧米の教育の違い」に触れてみようと思っていますが、欧米では「(先生も生徒も)共に、平等に学ぶ」という感覚が強いのに対して、日本は「(師匠と弟子のような)教える→教わる」の一方通行の感覚が強いため、良く言えば「いい子」ですが、均一で個性がなく、受け身で自分自身で考えられない子が育ってしまう気がします。

吹奏楽部を例にとっても、目的を共有せず、先生が一方的に指導をするだけで、取り憑かれたようにコンクールで金賞を取るためだけの演奏になり、ミスがなくて上手だけど、どの学校を聴いても個性がなくてつまらないとか、「先生、先輩の言った事は絶対に正しい」というような擦り込みが起き、いまでは決して正しいとは言えない奏法や練習方法が伝統として受け継がれ、それを頑なに守っている。

こんな話は僕だけが感じているわけではなく、指導に携わっているプロの間でもよく聞かれる話題です。

これからもっともっとグローバルになっていく社会で自分の道を切り開いていくためには、カリキュラムを生かしつつも、もっと柔軟な教育をしていく必要があるのではないでしょうか。

何より、(親を含む)他人に敷いてもらったレールの上を歩くより、自分で考えて選択した道を歩いたほうが、よりストレスがなく、楽しい、充実した人生を歩める事に、一人でも多くの方に気付いていただきたいと思います。

次回記事:NSU教育学部 Vol.3『日本と欧米の教育の違い』
前回記事:NSU教育学部 Vol.1『目的と手段』

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記事を書いた人

藤井裕樹
藤井裕樹(フジイヒロキ)

NPO法人ネクストステージ・プランニング音楽ディレクター。中学でトロンボーンを始め、大学には行かず19歳でプロになる。ジャズやポピュラー音楽を中心に、某人気テーマパークでの演奏や、有名ミュージシャンとの共演多数。詳しくは「ネクストステージ」へ羽ばたく若い音楽家の皆さんへ

HP: https://mtfujimusic.com/

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