NSU教育学部 Vol.4『欧米の教育の取り入れ方』

前回記事「日本と欧米の教育の違い」(→NSU教育学部 Vol.3『日本と欧米の教育の違い』)の中で、大坂なおみ選手とコーチの関係には上下関係がなく、また、彼女を徹底的に褒めて伸ばし、結果を出している事などを紹介しました。

ですが、

“そもそも「国民性」というものもあるので、例えば上下関係をすべて取っ払ったり、極端なポジティブシンキングを日本に取り入れたとしても、うまく機能するとは言えないと思います。”

こんな意見も書かせていただきました。

今回はこの点について、もう少し掘り下げてみます。

国民性とは?

そもそも「国民性」って何でしょうか?
もっと簡単な言葉に置き換えれば「その国らしさ」だと僕は思っています。

当たり前の話ですが、我々の身の回りには「日本らしい」ところがたくさんあり、「日本人らしさ」も存在します。

島国でほぼ単一の民族であり、日本語という独自の言葉で国民全員意思の疎通が出来ると言っても過言ではありません。
欧米ほど信心深い人は少ないものの、神社やお寺がたくさんあります。お寿司やそばなどといった和食の文化もありますよね。

何が言いたいかと言うと、

日本には日本の良いところがたくさんあるので、それらを大切にしつつ、欧米の良いところを取り入れましょう

という事。

僕自身、いま住んでいる家に和室はなく洋室のフローリングだし、トイレも洋式のほうが便利だと感じていますが、さすがに部屋に入る時、靴は脱ぎます。これは日本の文化、習慣ですよね。よほど欧米文化に溶け込んでいる人は別ですが、ほとんどの人は、ここは日本を尊重しているのではないでしょうか。靴を脱ぐほうが衛生的で、日本の良い習慣です。

これと同じように、「目上の人を敬う」というのも日本の習慣であり、これ自体は良い事だと思ってます。

年や立場が上というだけで絶対的な権力を持っている会社の上司や、問題になっている大学スポーツの監督のパワハラのような状態が良くないのは言うまでもないですが、日本には「親しき仲にも礼儀あり」という言葉があるくらいで、欧米レベルの友達のような関係は一般的な日本の社会では成立しません。

僕は後輩や若手の音楽家に「上下関係はそんなに気にしないよ」という話をするのですが、だからと言って初対面からタメ口なのは失礼だし、ましてや呼び捨てはあり得ませんよね(逆に、言葉遣いは異常に丁寧だけど、言葉の裏にまったく敬意を感じない言動をする失礼な若手もいますが)。

『フリーランスで成功するための”10の秘訣”』Vol.1 謙虚さ、感謝がある、謝罪ができる

このシリーズで書いた内容は、フリーランスの音楽家に限らず、一人の社会人として基本になる話です。音楽家である以前にこういった事がきちんと出来ていて、なおかつ演奏技術が備わっている。そういう人は仮に僕より若手であっても尊敬出来るので、対等でありたいと思っています。

大切なのはやはり「信頼関係が出来ているか」。

これに尽きると思います。

その信頼関係を築くためには、一般常識をあわせ持ち「自分はこういう考え、信念を持って生きている、音楽をやっている」というようなアイデンティティーが見える事(相手に伝わる事)が大切だと思います。

受け身、引っ込み思案の日本人はほとんどこれが見えてこないので、結局は保守的、封建的な上下関係の中に埋れてしまうのではないでしょうか。

ただ褒めれば良いというものではない

日本には「謙遜」という文化があります。
仮に何か褒められても、「いえいえ、自分はまだまだです」とか「今日の演奏はここがダメでした」みたいになりますよね。

「謙虚」と「謙遜」は別物。度が過ぎた謙遜は自分の自信のなさを隠すためのカモフラージュで、向上心には繋がらないという話は以前にも書きましたが、日本人はもう少し自信を持ち、褒められる事を受け入れても良いかな?とは感じています。

ただ、これも先ほど書いた話と同じで、日本に靴を脱ぐという文化が浸透している中で、いきなり土足文化に変化する事はあり得ません。

ある日突然、周りの人が何でもかんでも自分を褒めるようになっても受け入れられないというか、気持ち悪くないですか?

良くも悪くも「以心伝心」(言葉はなくても相手に想いが伝わる)とか、本音を言わない文化の日本で、極端なポジティブシンキングや、とにかく褒めちぎるという教育は嘘臭くて、僕はそういう人と信頼関係を築ける気がしません。

対等な人間関係を築くためには?

僕は自分より年上の社会人の生徒さんがたくさんいます。中には社長クラスの人もいます。

もちろん人生の先輩としては尊敬していますが、音楽の経験はこちらのほうが上なので、その部分に関してはプロ意識、責任を持ち、対等な人間関係を築くようにしています。

良いところがあれば褒めるようにはしていますが、逆に良くないところはきちんと指摘をします。これは音楽の事だけではなく、例えばグループレッスンの中でほかの生徒さんへの配慮がなく、和を乱す行動をしていると判断した場合は、年上であろうと、社長であろうと注意しますね。

生徒さんのほうがお客さんであっても、趣味であっても、無断欠席や遅刻もルール違反だと思うので、そういう場合も注意をし、何度も続くようだと、最悪退会していただく場合もあります。

当然目上の人とも対等な関係を築くためには、自分自身が社会人として常識のある行動をとっている事は最低条件です。

相手が誰であっても信頼関係を築き、褒めるところは褒める。でも、注意すべき事は注意する(自分の意見はしっかり主張する)。ただこれだけですよね。僕の場合は、このようにハッキリしたポリシーを持って行動しているので、自分の周りにいる人とは良い人間関係が築けていると思います(合わない人は自然に自分の周りからいなくなるので、ストレスは少ないと思います)。

今回の内容をまとめると、

日本と欧米には文化、習慣の違いはあるものの、欧米にも立場上の上下関係は存在するし(親しき仲にも礼儀ありだし)、何でもかんでもただ褒めているだけではない

という事です。

文化や習慣を取っ払って考える事自体ナンセンスなのに、そこにまったく触れず、上下関係をなくしたり、極端なポジティブシンキング、ただ褒めるだけの教育にしてしまったら、おそらく日本の社会は崩壊するし、せっかくの日本人らしさがなくなってしまうでしょう。

何でも欧米の真似をすれば良いという話ではありません。

日本人は(特に白人への)外国人コンプレックスの人が多いので、何でも自分たちより欧米のほうが優れていると感じてしまうんですよね。

かと思えば、料理の世界では、(インドの)カレー、(中国の)ラーメン、(イタリアの)パスタなどはとても上手にアレンジされて、もはや「和食」の一部と言っても過言ではありません。

最初にも書きましたが、

欧米(だけでなく諸外国の)の良いところを受け入れつつも、それを日本の文化、習慣にどう置き換えられるか、取り入れられるかをよく考えて、自分流(日本流)にアレンジしていく教育が大切なのではないでしょうか。

次回記事:NSU教育学部 Vol.5『自分と他人』
前回記事:NSU教育学部 Vol.3『日本と欧米の教育の違い』