音楽家のサバイバル術A way for musicians to survive
人生の目的を達成するための辛抱と我慢の違いとは? | NSU教育学部 Vol.6
シリーズNSU(Next Stage University )教育学部第6弾です。
前回の記事(→NSU教育学部 Vol.5『自分と他人』)では、自分との付き合い方、他人との関わり方について僕なりの考えを書かせていただきました。
自分と他人と上手に付き合うには、初回記事「目的と手段」(→NSU教育学部 Vol.1『目的と手段』)の考え方の理解が絶対条件、大前提となります。
今回はそれをふまえ「辛抱と我慢」の話をしてみましょう。
あなた自身の「人生の目的」を達成するための「手段」。
それは「辛抱」なんでしょうか、「我慢」なんでしょうか。
辛抱と我慢の違いは?
僕個人のイメージかもしれませんが、「辛抱」にはポジティブなイメージがあり、「我慢」にはネガティブなイメージがあります。どう違うかわかりますか?
『辛抱』→将来人生で成し遂げたい目的があり、その手段として「辛抱」している。
『我慢』→将来の目的がなく、その日その日をなんとなく生きている。だから、自分がやりたくない事でも「我慢」をしなくてはいけない。もしくは目的に合わない手段を取っている。
僕にはこんな違いを感じるんです。
音楽家で例えた場合、
『辛抱』→将来自分は人を感動させる音楽家になりたい。だから「辛抱」して練習を頑張るんだ!
『我慢』→練習しないと先生に怒られる、だから「我慢」して、先生に怒られないように練習しよう。
この違いだと思うのです。
どちらがよりポジティブ(能動的)であり、どちらがネガティブ(受動的)であるかは一目瞭然だと思います。
仮にお客様(聴衆、リスナー)の立場であった場合、どちらの音楽を聴きたいか、どちらの音楽で感動出来るかという話でもありますよね。
日本人には「我慢」が多い
このシリーズの中でも、日本は受け身な人が多いという話をしてきました。
つまり「我慢」の人が多いのです。
あまり良い例えではないかもしれませんが、太平洋戦争中には「欲しがりません、勝つまでは」という言葉がありました。
僕にはこれはネガティブなイメージで、「辛抱」ではなく、「我慢」だと感じます。
この平和な、自由な世の中で、「我慢」はナンセンスだと思いませんか?
(「辛抱」には自由があり、「我慢」には自由がありません)
『A or B/あなたが選択すべき人生の分かれ道』 Vol.6 諦めない勇気 or 諦める勇気
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この記事にも書いた「諦める勇気」や、前回書いた「NOを伝える能力」も大切です。
「目的」が明確になれば、適切な「手段」が取れます。その手段として必要なければ、潔く諦めたり、NOを言えば良いだけの事ですよね。無意味な「我慢」は必要ありません。
「好きこそ物の上手なれ」ということわざもありますが、自分の好きな事をやっている時(目的に向かってまっすぐ進んでいる状態)はまさに生きがいなわけです。少しくらい辛くても「辛抱」が出来ます。
ネクストステージ・プロジェクトで学ぶ「辛抱」のあり方
ネクストステージ・プロジェクトでは、若い音楽家が自立出来るようにするため、スタッフには演奏以外のさまざまなスキルを身に付けるトレーニングを実践の場で学んでもらっています(※現在は募集していません)。
楽器の演奏がただただ楽しくて続けてきた人も、プロの音楽家として自立するためには、演奏以外に必要なスキルが山のようにあります。
そもそも音楽家になろうという人たちは、演奏技術が人より秀でていた可能性は高いですよね。逆に言えば、それ以外の部分(お金の管理や、言葉、文章で何かを伝えるスキルなど)は正直苦手だという人も多いと思います。
そんな人たちはうちでのトレーニングで現実に直面するのですが、「絶対に音楽家として自立してやるんだ!」という強い想いのある人にとって、苦手な事を頑張るのは「辛抱」なんです。
「生演奏の事例」の記事一覧
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演奏案件ごとに同行マネージャーにはこのようなブログを書いてもらっていますが、「イベントを文字でリアルに表現する、クライアント様や奏者に感謝の気持ちを伝える文章を書くスキル」は、結果自分自身の「自己PR」のスキルになるわけです(自分のホームページやSNSの見せ方が変わり、結果仕事に結びつきます)。
逆に、目的を明確にしていない人にとっては「なんでこんなことまでやらなきゃいけないんだ、自分は演奏だけやってたいのに」という感じで、苦痛、つまり「我慢」でしかありません。
皆さんのこれまでの人生でも「辛抱」なのか「我慢」なのかによって、将来得られる未来が変わったという体験があるのではないでしょうか。
家庭で実践出来る「辛抱」の教育
家庭でも、お母さんが子どもに対して「晩ごはんの時間が近いんだから、いまそんなにおやつを食べちゃダメ!」と叱るシチュエーションってありますよね。
この時、なんの理由も説明する事なくおやつを食べちゃダメと叱るのは、子どもにとっては「我慢を強いられる」状態です。
年齢によって伝え方は変わると思いますが、「子どもの成長に必要な栄養を十分に摂取出来るのはおやつのスナック菓子じゃなくて晩ごはん。いまお腹いっぱいになったらあなたの成長に良くない、だから辛抱しなさい」
こう言えば子どもはより理解するし、親子の信頼関係も築けるはずです。
実際このような形で「辛抱」し、おやつに手を出さずにいられた子のほうが成績が良くなる傾向があるというデータもあるそうですよ。
また「ストレス」という言葉も、基本的にはネガティブなイメージを持つ人が多いと思いますが「快感のストレス」と「苦痛のストレス」があります。
親御さんが無理やり子どもにピアノを習わせていたら、その練習は「我慢」(苦痛のストレス)ですが、子ども自身が「将来はピアニストになるんだ!」と夢を持って練習をしていたら、多少の壁にぶつかってもそれは「辛抱」(快感のストレス)ですよね。
自分がいま「辛抱」しているのか、「我慢」を強いられているのか。他人に対して「辛抱」を要求(その人のために)しているのか、「我慢」させてしまっているのか。
この事をより意識出来れば、もっと生きやすくなり(人間関係もスムーズになり)、手に入れたい未来に繋がっていくのではないでしょうか。
次回へ続く
次回記事:NSU教育学部 Vol.7『お金の教育』(上)
前回記事:NSU教育学部 Vol.5『自分と他人』