音楽家のサバイバル術A way for musicians to survive
音楽家として信用される大切さ | NSU教育学部 Vol.8
前回(→NSU教育学部 Vol.7『お金の教育』(上))、前々回(→NSU教育学部 Vol.7『お金の教育』(下))と2回に分け、「お金の教育」について書かせていただきました。
社会人として自立する=お金を稼ぐ
と言っても過言ではありません(ニートのように、自分で働かずに親御さんに養ってもらっている状態は自立とは言えないので)。
お金としっかり向き合う事の大切さをご理解いただけたでしょうか。
では、お金が動く(払う、受け取る)という現象はいったい「何によって」もたらされているのでしょうか。もちろん僕が言いたいのは物理の話ではありません。「人間関係」の中での話です。
タイトルにも書いたので気付いている方も多いと思いますが、それは「信用」です。
信用の大切さ
皆さんもイメージしてみてください。自分がお金を払ったり、受け取ったりする時には必ず「信用」をともなっていませんか?
例えばコンビニでレジ前にあるおでんを買う人は、なぜそれを買うかと言うと、そのコンビニのブランドを信用しているからです。最近ニュースで「バイトテロ」が話題になっていますが、アルバイトの若者がおでんを口に入れて戻しているような動画を見たら、「あそこと同じコンビニで買うのをやめよう」とか、「真空パックになった製品を買おう」と思いますよね。
これはまさに信用を失った状態です(信用を失うと、お金が動かなくなります)。
皆さんの多くが楽器に高いお金をかけていると思いますが、プロがオークションで買う事はほぼありません。ちゃんとお店で試奏すると思います。それは、オークションの写真や宣伝文句だけでは信用出来ないからですよね。
日本の紙幣や硬貨も同じです。例えば1万円札。
「これは間違いなく日本銀行で発行された印刷物で、1万円の価値がありますよ」と誰もが信用しているからであって、そうでなければほぼただの紙キレです(原価は20円ちょっとらしいです)。
あり得ない話かもしれませんが、どこか未開の原住民の住んでいる村に行って石か貝殻を出されて「これはこの村では1万円の価値がある、だから日本の1万円札と交換してくれ」と言われても、その通りにする人はほぼいないと思います(これも信用出来ないからです)。
悪い例を挙げれば、変な壺を買ってしまったり、怪しい宗教で高いお布施を払ってしまうのも、それは間違った意味で相手を信用してしまったからですよね。
何が言いたいかと言うと、
社会人として自立する=お金を稼ぐ=信用される人間になる必要がある
という方程式が成り立つという事です。
では、音楽家として信用されるためには何か必要でしょうか?
ただ楽器が上手いだけでなく、さまざまな要素が必要になる事は今さら言うまでもないですよね。どんなに楽器が上手くても、体調不良で仕事に穴を空ける、遅刻をする、約束を守らないといった人は信用されません。
『フリーランスで成功するための“10の秘訣”』Vol.1 謙虚さ、感謝がある、謝罪ができる
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このシリーズでお伝えしてきた内容はまさに「信用されるためには何が必要か」という話でもあります。
ちなみに、フリーランスの音楽家はクレジットカードの審査に落ちる人が結構いるのをご存知ですか?(読者の皆さんの中にもいらっしゃるのでは?)。
皆さんは何気なく「クレジット(credit)」という言葉を使っているかもしれませんが、実は日本語に訳すと「信用」という意味です。つまり、社会性や信用があってはじめて持てるものだという事ですね。
悲しい事に、フリーランスの音楽家はそれくらい「社会的に信用がない」というのも事実なんです。
学校での信用の教育
学校というところでも、僕はもっとこの「信用のあり方」を教育したほうが良いのではないかと考えています。
先生は(親御さんもですが)、はじめはもっと子どもたちを信用する必要があるし、逆に信用される人間である必要があります。
「あれをやっちゃダメ、これをやっちゃダメ」と規則で縛るのも、それは信用していないからですよね。
僕はこんなブログを書いているくらいですから、若者にもそれなりのレベルのマナーやスキルを要求します。それを親御さんや先生が「そんなのはうちの子にはまだ無理」と言う人がいるのですが、これはまさに子どもを信用していない典型だと思っています(大人が子どもの成長にブレーキをかけています)。
こういう事が教育現場でもとても多いので、教科書通り、マニュアル通りにしか動けない子や、目上の人のご機嫌を伺いながら、その人に気に入られるため(嫌われないため)だけに行動するような子、もしくは後先を考えず、無意味な反攻をしてしまうような子がたくさん育ってしまうのではないでしょうか。
もちろんただ信用するだけではなく、信用を失った時の代償はきちんと教えるべきだとも思っています。
前述の「バイトテロ」は、「信用の教育の欠如の典型例」ではないでしょうか。
経営者(立場が上の人)はアルバイトの若者(立場が下の人)を信用していない。言い換えれば、労働に見合った対価を支払っていない。そんな経営者をアルバイトの若者のほうも信用していないために、あのような動画を撮影してSNSにあげる輩が出てきてしまいます。
もちろん、やった行為が許されるわけではなく、社会全体に対して信用を失う行為をすれば、制裁を受けるという体験はさせるべきだと思います。
校則だけでなく、条例や法律、会社ごとの規則なども、ルール違反をすればするほど増えていきますよね。
自分がやりたい事をやって生きていきたいと思っているほど、本来はルールを守らないといけないんです。
音楽家として自立するというのは、ある意味自分の好きな事を職業にするわけです。冒頭に書いたようなニートではなくても、正社員として就職していなくても、日本ならアルバイトだけで自立する事も出来るかもしれません。ただ、この状態は社会的信用は低いし、音楽家を目指している人から見れば、望みとは真逆の人生でしょう。
社会のルールを守り、周囲から人として信用され、そして練習、経験を積む事によって音楽的な信用も得る
これが音楽家を志す人のあり方ではないでしょうか。もちろん音楽家を目指さなくても、社会で生きやすくするためには(自分が生きやすい環境を作るためには)、やはり信用が不可欠だと僕は思います。
信用を超えるもの
NSU教育学部 Vol.5『自分と他人』
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このシリーズの『自分と他人』では人間関係、対人関係を築くスキルを高める事の大切さについて触れましたが、人間関係の中で信用を超えた状態は何でしょうか?
それは「信頼」ではないかと思います。
「用いる」と「頼る」という意味の違いを考えても、そこには明確な違いがありますよね。
コンビニで買い物をする場合、そのお店を信用していればお金を使いますが、正直信頼というレベルではないと思います。でも、例えば僕の場合、楽器の購入やメンテナンスのような、直接仕事に影響する部分では、信頼出来るスタッフにお金を使います。
別の例えで説明すると「トロンボーンならまあ誰でも良いけど、藤井ならミスもなくそれなりにやってくれるから現場に呼ぼう」は「信用」のレベルだし、「どうしてもトロンボーンでは藤井の音、キャラクターが必要だから頼もう」は「信頼」の領域だと言えるかもしれません。
どちらが稼げるかは一目瞭然ですよね。お金の話だけになるとやらしく聞こえますが、
稼げる=信頼されている=自分が社会に必要とされている実感がある
とも言えるので、それがまた成長や生きる事自体へのモチベーションにもつながると思います。
余談ではありますが、信用、信頼を超えた最上級は「愛」だと言えるかもしれません。
良好な関係にある夫婦や肉親は、信頼を超えて愛がありますよね。
無理やりお金の話で例えると、肉親が無条件、無利子で子どもにお金を貸してくれるのは(学費を払ってくれたりするのも)、信頼を超えた愛があるからです。
まずは「信用」され、そこから「信頼」を得て、それが「愛」へと変わっていけば、きれいごとに聞こえるかもしれませんが、この世界はいまより少しだけ居心地が良くなると僕は思っています。
次回へ続く
次回記事:NSU教育学部 Vol.9『ポジティブな人とネガティブな人』
前回記事:NSU教育学部 Vol.7『お金の教育』(下)